茶会で最も有名な言葉「一期一会」
世界でも名が知れている茶の湯を茶道へと導き大成功を遂げた、
千利休の言葉です。
現代の一期一会とは「この出会いは一度限り」と覚えている方も多いと思いますが、
「どんな茶会でも生涯一度きりの出逢い、真剣に真心を尽くして勤めよ」
と「真剣に真心を尽くす」この気持ちこそが彼が茶道を通して大成し、
世に伝えたかった心ではないでしょうか。
茶の湯が茶道へと発展し、私達の身近な日本茶になるまで
どのような変化を遂げてきたのか。日本茶の壮大な歴史の幕開けです。
■ 上流階級の茶サロンから茶歌舞伎遊びへ進展
1300年代になると寺院だけでなく、
上流階級や武士達の間にも抹茶を楽しむ時間が浸透していきます。
お茶を楽しむ部屋「ティーサロン」のような場所で、
中国から渡ってきた絵画や花瓶、優雅な香り薫く香炉などの美術品を飾り、
和歌を歌いながらお客様をもてなす「会所の茶」が流行しました。
同じ頃、様々な抹茶を飲んで原産地を当てる「闘茶会」(とうちゃかい)が徐々に広がり、
高貴な茶サロンにも酒や食事、時には賭け事も行われるような大人の遊びへと
進展していき、遂に禁止令が下されるほど、茶に翻弄されていたのがうかがえます。
何でもありの奔放された闘茶会に終止符を打ったのは「茶と禅」の繋がりでした。
■ 茶と禅の精神統一「侘び茶」
派手な茶サロンや遊び心満載な闘茶会から、
小さな個室「四畳半の茶室」で茶を煎じ、心の静けさと向き合い
精神面を磨く、瞑想(Meditation)のようなスタイル「侘び茶」
瞬く間に日本全国へと広がり、
日本人の美意識の高さを強調する茶の湯へと、変化していきます。
1500年代以降、権力者達はこのような茶の湯を愛し、
茶の歴史で最も有名な千利休が茶の湯を仕切る総責任者として勤め、
たくさんの弟子達を育てあげました。
弟子達に教えていた「茶の湯を勤める心の持ち方」として、あの有名な言葉
「一期一会」が誕生し、1人の弟子が書き留めてくれたお陰で、
日本茶の世界だけでなく現代社会でも使用されることになり、
日本人としてのおもてなし精神が脈々と受け継がれ、
これからも途切れることはないでしょう。
1600年代(江戸時代)から茶の湯は侘び茶の精神を引き継ぎながら
「茶道」と呼ばれるようになり、今の茶道文化の原点になっています。
寺院や権力者達にとって茶の湯は日常の癒しとなっていた頃、
一般の人々は町や家でどのような茶を飲んでいたのか。
「茶町と朝茶の習慣 - 庶民が飲んでいたのは、なに茶?」で解説します。