このサイトに来た人の中には「茶道」に興味のある方、
すでに茶道に精通している方など様々だと思います。
ここでは「茶道」の簡単な歴史とフェニマックス流
「茶道」の楽しみ方についてご説明します。
茶道が本格的に広まったのは今から450年ほど前です。
そのころは日本全国が内乱状態で、
全国統一に向け各地の武将が領土拡張のため、戦い合っていました。
その中で、勢力を拡大していたのが歴史的にも有名な織田信長です。
戦国大名というのは普通、戦争に勝って相手の領地を略奪し、配下の武将たちに「恩賞」としてその領地を分け与えます。
もちろん、負ければ恩賞はナシです。だからみんな必死に戦います。
織田信長も、最初はそうして戦ってきました。
しかし、時には相手から攻められ守りの戦争をしなくてはいけない時も出てきます。
戦争に勝っても十分な領土が得られない場合も出てきます。
部下の武将たちに十分な領土を与えることができないことも出てきます。
こんなとき、あなたが織田信長だったらどうしますか?
何か、領地や城のかわりに、価値のあるものを褒美にあげる「物」が必要になります。
その「物」が金銀の様なものでなく何か「勲章」のようなものであれば負担は軽くて済みます。
そこで利用したのが「茶道」です。
織田信長は、日本全国の武将に「茶道は素晴らしい芸術だ、俺の配下の武将であれば、その価値が分かるはずだ」という価値観を広めます。
みんな、信長に気に入られたいですから、こぞって「茶道」を学び始めます。
そして 織田信長が「これは価値が有ると認めた茶器」は正に「勲章」となるのです。
戦の恩賞に織田信長から茶器をもらえば、それは「信長に認められた」という証拠となります。
織田信長が「これは価値が有る」と言えばそれなりに価値は認められるのですが、もうちょっとしっかりした権威が欲しいと思った織田信長は千利休と組みます。
当時、茶道の世界で第一人者と言われた人物です。
千利休が鑑定して「うむ、これは価値がある」と言いさえすれば、昨日まで二束三文だった茶碗が、領土に匹敵する恩賞となります。
武将たちは、競って「名器」を手に入れようとします。
中には領土はいらない代わりに「茶器」を欲しがる武将も出てくるようになってきました。
千利休と織田信長は「茶道」を高貴で価値あるものに仕立て上げていきます。
茶会を主催することは織田信長、千利休ほかごく一部の幹部だけにしか許されなかったのも理解できますね。
織田信長没後、その部下だった豊臣秀吉は日本統一を成し遂げます。
豊臣秀吉も千利休と共に、茶道をさらに広めていきます。
小さな四畳半ほどの部屋で行われる茶会はしばしば武将同士の密談、交渉の場所となりました。
そこでしばしば同席する千利休もただの茶人から政治の世界に入るキーマンになっていったのだと思います。
ところが千利休が70歳の時、突然豊臣秀吉から切腹を命じられます。
その理由はいまでも謎のままです。
一説には豊臣秀吉の後、200年以上続く江戸幕府の初代将軍となる徳川家康に千利休が接近しすぎたとも言われています。
千利休が構築した茶道は「裏千家」という「侘び寂び」の世界です。
「侘び」とはつつましく、質素なものにこそ趣があると感じる心のこと。
一方、「寂び」とは時間の経過によって表れる美しさを指します。
この世のものは時が経つにつれ汚れたり、欠けたりして変化しますが、それを劣化と否定的にとらえず、変化が織りなす多様な美しさを「寂び」と呼び、肯定するのです。
千利休の抹茶椀で有名なのがこの黒楽茶碗(くろらくちゃわん)です。
不要なものを極限までそぎ落とすという千利休の世界を垣間見れる逸品です。
この他にも国宝とされる抹茶椀は派手な絵柄もなくとてもシンプルです。
これらの茶器は楽焼(京都)に代表される陶器です。
ところがもともと茶道は中国から来たもので千利休以前の抹茶椀は青磁など磁器の物でした。
千利休没後、そのビジネスモデルを真似て様々な流派が台頭してきます。
裏千家、表千家、武者小路千家は代表的な流派です。
その他、藪内流、遠州流、江戸千家流、松尾流、石州流、宗徧流など現代の日本には様々な流派が存在します。
武士の時代つまり江戸時代が終わると「茶道」は変化していきます。
それまで畳の上で正座をして茶道をすることが一般的でしたが、
明治時代に外国人の方を招くために、椅子に座ってお茶をいただく「立礼」(りゅうれい)というスタイルが裏千家流によって編み出されました。
実際に明治5年に京都博覧会で立礼式の席を設けたという記録があります。
そして茶道は武士のたしなみから女性のたしなみへと変化していきます。
つい最近まで会社に就職する際、提出する履歴書には特技/免許の欄に「茶道」と書けることが高く評価されていました。
その理由は、その作法が複雑で習得するまで長い年月を費やさないと免状がもらえないためだと思います。
織田信長の時代から受け継がれている高貴で複雑な作法の「茶道」は一方で忙しい現代社会で大きく変化してきています。
もともと「茶道」とは迎え入れるお客様を思いやり、お客様に喜んでもらえるようにどんな話題をしたらよいか?どのような趣味を持っている人なのか?どのような事が好きなのか?
徹底的にもてなす心を持って食事と共にお茶を提供するものでした。
正に究極の接待イベントです。
それがいつしか、自己研鑽(スキルアップ)のためへと変化する一方、現代社会ではスキルと言うより趣味の世界となってしまっているのは否めません。
さらには、茶道を教えることができる免許をもらうために学ぶというビジネス目的の人も出てきています。
フェニマックスでは茶道の原点に戻り、より多くの方にお茶を通して
人を楽しませもてなすためのお茶
マインドフルネス/瞑想の時間を楽しむためのお茶
健康のためのお茶
を提案して参ります。
フェニマックス流お茶の楽しみ方のルールはとてもシンプル
オーガニックの茶を飲む
もともとお茶は「薬」として飲まれていました。
「お茶を一杯」とは言わず「お茶を一服」と言われる理由です。
ところが、現代の茶道では作法に重点をおくあまり、抹茶の品質は二の次になっています。
農薬使用量ワースト3の日本で特にお茶への農薬、化学肥料の散布は大量で健康からほど遠い産物になってしまっているのが現状です。
フェニマックスのお茶は山奥のオーガニック農園で作られています。
どの農園よりも標高の高い人里離れた農園がフェニマックスの特徴です。
作法は各自自由に
流派により作法は異なります。
人により初心者から作法を習得した上級者まで様々です。
ですがお茶は元来全ての人が楽しむことができるものです。
初心者のお客様にも提供できるものでなくてはいけないと思っています。
作法を知らないお客様には提供できないという物では「お客様を思いやり、心を込めて接待する」というお茶の精神に反するものだと思います。
それぞれ各自が心地よいと思う作法で、より身近に毎日の瞑想の時間にお茶を
取り入れてもらえることを願っています。
フェニマックスは現代の茶道を否定はしません
お茶と接することにより、さらに本格的な「茶道」に興味を持ち、学びたい方は以下の各流派へお問い合わせください
裏千家、表千家、武者小路千家、藪内流、遠州流、江戸千家流、松尾流、石州流、宗徧流